スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

復興書店 新しい作家さんや本が増えてます

作家,執筆者が無償で本を提供、定価で本を買っていただき、管理費などを差し引いた全額を震災復興のため寄付するという試み「復興書店」

私も微力ながら2種類の本(下手なサイン入り)を提供させていたが来ましたが、1種類はすでに売り切れました。

新しい作家さんや本が次々に加わっていますので、覗いて見て下さい。お気に入りの作家のサインやメッセージ入りの本を手に入れることが,募金になります。皆さん、ぜひご協力を。
スポンサーサイト

在日米海軍司令部発表「トモダチ作戦のまとめ(訳文)」

在日米海軍司令部 広報・報道部から「アメリカ海軍、トモダチ作戦のまとめ」というメールを戴きました。全文をブログに掲載してみましたが、コピペで二次利用されるのはどうなのかと考えて消しました。

ただ、よくまとまった資料なので、このまま死蔵させてしまうのはもったいないと考え、翻訳文なら文責は私にあるのでブログに載せても問題なしと判断しました。

大急ぎで訳しましたので語訳があるかもしれませんが、参考にはなると思います。

二次利用の際はできればコピペではなく、リンクでお願いします。

------------------------------------

「第7艦隊はトモダチ作戦を振り返り黙祷する」

第7艦隊広報部
横須賀、日本(2011年4月11日)
北日本を襲った猛烈な地震と津波から1ヵ月たったこの日午後2時46分、海で、そして陸で、米第7艦隊の隊員は黙祷を捧げた。
震災後の救援活動は、日本語で「friend」を意味するトモダチ作戦と名付けられた。
米軍は復興のため自衛隊を支援した。
今回、1度に3つの災害がおきた。
マグニチュート9.0の地震、津波、そして原子力事故が組み合わさり、想像も及ばない大きさの悲劇を生み出した。
自衛隊をサポートするため、第7艦隊は数時間のうちに20隻以上の艦艇、19,000名の人員と150機以上の航空機を動員した。
以下は、トモダチ作戦との米第7艦隊関係に関する毎日の報告である。

3月11日:
第7艦隊の艦艇は全員再呼集を開始、展開の準備を始めた。
横須賀とグアムの艦艇は津波のため海底地形が変わったことを考慮して、水深を測るラインハンドラーを配置した。
グアムではヒューストンとシティ・オブ・コーパスクリスティという2隻の潜水艦の係留索が切れて漂流したが、日本の港で米艦の被害はなかった。
2隻はタグボートで港に戻ったが、ヒューストンはプロペラスクリューを損傷したため、他艦と交替した。
トーテュガは、MH-53E重輸送ヘリコプターを搭載するため、佐世保から韓国のポハンへ向った。
第7艦隊の旗艦ブルーリッジは、シンガポールで人道支援と災害救助(HADR)キットの積み込みを始めた。
3月12日:
ブルーリッジは米軍の海での救援活動を指揮調整するため、日本へ向けシンガポールを出港。ラパハノックも洋上補給のためのHADRを積み込んだ。
ロナルド・レーガン(CVN-76)と空母攻撃群、巡洋艦チャンセラービル(CG-62)、駆逐艦プレブル(DDG-88)、戦闘支援艦ブリッジ(T-AOE 10)は本州北部の沖合に急行、夕方遅くに到着した。
エセックス(LHD 2)は乗り組んだ第31海兵遠征部隊(31MEU)とともにマレーシアのセパンガール港を出港、途中でハーパーズ・フェリーとジャーマンタウンと合流した。
3月13日:
レーガンCSGは、最初3月13日に現場に到着し、MH-60ヘリコプターを使って捜索/回収と生存者への人道的救援ミッションを開始した。
フィッツジェラルド(DDG-62)、ジョン S. マケイン(DDG-56)、マッキャンベル(DDG-85)とカーティス・ウィルバー(DDG-54)は、捜索救難作戦を開始した。
マスティン(DDG-89)もこのミッションに参加するため横須賀を出港した。
CTF-72/VP-4に所属するP-3オライオン哨戒機は陸上および洋上の残骸を捜索するミッションを開始した。
トーテュガはポハンの沖合でMH-53Eヘリコプターを着艦させた。
ロナルド・レーガンに戻ったヘリコプターから、放射線管理要員が低レベルの汚染を見つけたため、米艦はただちに福島第一原発の風下を避ける位置に移動した。
3月14日:
港の近くで援助が必要な人々のいくつかのグループを発見したため、厚木基地とロナルド・レーガンのヘリコプター10機が水、毛布と食物を運んだ。
ヘリコプターはさらに、洋上の残骸の調査を実施、海岸線に沿って捜索救難ミッションを行なった。
トーテュガ(LSD 46)搭載のMH-53ヘリコプター2機は、北海道東海岸の苫小牧へ向った。
3月15日:
レーガンCSGは、被災者への救援物資輸送に29ソーティを行なった。
エセックス(LHD 2)、ハーパーズ・フェリー (LSD 49)、ジャーマンタウン (LSD 42) からなる水陸両用部隊と乗艦する31MEUは本州へ向い、苫小牧に到着したトーテュガは救援活動を行なう陸上自衛隊隊員を車両を乗艦させた。
3月16日:
トーテュガ(LSD 46)は約300名の陸上自衛隊員と90台の車両を載せて青森へ向った。
ロナルド・レーガンは、3回のヘリコプター・ソーティを実施。食物と水の約7トンを届けた。
他の艦艇は12のソーティを実施、食物、水、ミルク、ジュース、食物、衣類、医薬品と毛布を届けた。
セーフガードは福島第一原発で使用するため日本政府に引き渡す高圧ウォーターポンプを横須賀港で降ろした。
3月17日:
雪と低視認性がヘリコプターの運用を妨げたが、レーガンCSGと厚木のCVW-5は10回のヘリコプター・ソーティを実施。およそ10トンの救援物資を届けた。
エセックス、ハーパーズ・フェリー、ジャーマンタウン、そして乗艦する31MEUは本州北東部に到着した。
トーテュガは大湊で錨をおろし、汎用上陸用舟艇(LCU)を使って陸上自衛隊隊員を上陸させるとともに、5,000個の携帯用調理済食(MRE)と5,000本の水を届けた。
3月18日:
震災から1週間が過ぎ、ミッションは救助から生存者の生命維持へのミッションにシフトした。
レーガンCSG所属のHS-4およびHSL-43、そして厚木ののHSL-51に所属するヘリコプターは、15の救済サイトに28トンの食物、水、衣料品、医薬品、化粧品類、ベビー用品、そして灯油を被災者に届けた。
3月19日:
寒さとマグニチュード6.1の余震にもかかわらず 、第7艦隊はトモダチ作戦を通して生命維持のための努力を続けた。
HSL-51"Warlords"、HS-4"Black Knights"、HSL-43"Battlecats"はHADRミッションを続け、陸に29トンの援助物資を届けた。
ヘリコプターは 八戸空港ならびに避難所に設けられた着陸ゾーンに必要とされた物資を届けた。
八戸はより細かな分配のためのステージングポイントとして用いられた。
ヘリコプタ乗員は訪問した3つのサイトでは 地上からの救援活動により被災者の必要を満たし始めており、空からの救援を必要としてないと報告した。
そのようなサイトでは、陸上自衛隊の中大型装備による活動が本格化していると報告された。
3月20日:
ヘリコプターは、僻地と仙台沖の小島を含む15のサイトに16トン以上を配達した。
F/A-18は共用偵察ポッド(SHARP)を用いた2回の空中偵察任務を実施した。
現在まで61,000枚以上の画像を撮影、その中から「SOS」の文字などの救援を求める兆候がないかを綿密に調べた。
画像は海上自衛隊と共有された。
3月21日:
北東部海岸に沿って人道援助活動を助けてきたハーパーズ・フェリー、ジャーマンタウン、トーテュガ、エセックスと31MEUは八戸の沖合に展開、津波の被害を受けた遠隔地域で人々と連絡をとるために活動した。
31MEU麾下のHMM-262(Rein)に所属する2機のCH-46Eヘリコプターは毛布と飲料水を宮古市まで空輸した。
パイロットは宮古と大船渡の間で被害を受けた海岸線200マイルの航空写真測量を実施した。
レーガンCSGのヘリコプターは17トンの必需品を24のサイトへ空輸するとともに、今後空輸が必要になりそうな16のサイトを見つけた。
三沢基地に配備されているVP-4のP-3は、海岸線の偵察を実施、被災者の捜索とともに、ヘリコプターが降りられる新しい着陸ゾーンを探した。
ジョージ・ワシントンは福島第一原発の状況が好転しない中、予防措置としてメンテナンスを続けるために横須賀を出港した。
ラッセンもメンテナンスを続けるため、横須賀を出港して佐世保へ向った。
3月22日:
横須賀の埠頭は完全に空になったが、米海軍の艦艇が1隻もいないという事態はこれまでにはなかった。
米第7艦隊の19隻の艦艇、140機の航空機、19,703名の海軍、海兵隊の人員は、救援活動を続けていた。
この時点までに海軍は、84ヵ所の着陸ゾーンに人道支援と災害救援物資空輸を349回実施していた。
ロナルド・レーガンと第15駆逐隊のチャンセラービル(CG-62)、プレブル(DDG-88)の乗員は寄付を集めた。
100枚以上の毛布、237本のズボン、450着のシャツ、311着のジャケットとセーター、748足の靴下、154枚のタオル、57足の靴、166着の下着、76個の帽子、8枚のスカーフ、34揃いの手袋が2、3時間で集まり、HS-4の乗員は青森県内の様々な着陸ゾーンへそれを送った。
水兵は子供たちのために20個以上のぬいぐるみの動物を寄付した。
第76任務部隊は八戸港のがれき除去計画を作成した。
セーフガードは八戸で海上自衛隊を援助、港の残骸撤去を行なった。
3月23日:
ロナルド・レーガンは過去11日間の災害救助作戦を実施している間、飛行甲板の置かれていた機体に付いた放射性物質などを淡水洗浄するため、一時的に任務を中断した。
雪と豪雨により乗員はわずか12ヵ所の着陸ゾーンにしか飛行できなかった。
68ヵ所の着陸地点のうち25ヵ所は自衛隊の活動によりもはや海軍の援助を必要としなくなった。
第76任務部隊は八戸港付近の浜辺に着陸地点を確保し、日米のダイバーによる潜水作戦と港湾サルベージの計画を作成した。
この地域からは700もの輸送コンテナと200の漁船が流失しており、航行の安全を脅かす存在になっていた。
セーフガードに乗り組んだMDSU-1(第1機動潜水サルベージ部隊)は翌日、八戸に到着し、障害物の探査を開始した。
3月24日:
第76任務部隊は八戸の港湾、更には液化天然ガス(LNG)埠頭を調査するため潜水作戦を実施した。
セーフガードとMDSU-1は八戸に到着した。
三沢のP-3オライオンは八戸、久慈、島越、小本、田老、宮古、釜石、大船渡などの地域で電子光学(EO)画像を撮った。そして、被災者のグループや3つの新しい着陸ゾーンを見つけた。
これらの飛行によって得られたすべての画像は自衛隊と共有された。
原発冷却用に350,000ガロンの淡水を積める2隻のはしけが、横須賀で準備を開始した。
3月25日:
セーフガード (ARS 50) とMDSU-1、EODMU-5(第5爆発物処理機動部隊)、第2水中建設工兵チームは、海上自衛隊や民間のダイバーと共に港の再開を目指して動いた。
彼らは、水中監視画像サイドスキャン・ソナー装置を持っており、液化天然ガス埠頭に通じる水路を塞ぐ100トンのコンクリートブロックを発見、記録した。
CTF-72/VP-4のP-3オライオンによる港湾および道路の観測飛行はムカイ(?)、トニ(?)、久慈、大船渡で実施された。
クルーは小学校に近い野球場の雪の中に「HELP WATER」の文字を見つけた。
彼らはその情報を自衛隊にすぐさま伝えた。
3月26日:
この日の天気は強風と大雪で、支援作戦に影響を与えており、特にヘリコプターは救援物資の輸送がまったくできなかった。
横須賀基地は、2隻の水はしけの2隻目を海上自衛隊に渡した。
2隻のはしけは合計500,000ガロンの淡水を積み、福島第一小原発の沖合に送られた。
海自のひうち型多用途支援艦最初がはしけを護送した。
原発緊急冷却に使われていた海水が腐食性を帯びているため、淡水に切り換えられることになった。
3月27日:
エセックスと支援艦艇は、気仙沼市沖合の大島で陸海空共同の再供給を実施した。
3月11日の震災により島と本土を結ぶフェリーは運航できなくなり、ライフラインも途絶えた。
エセックスは汎用型上陸用舟艇により避難所のための商用電気自動車、給水車、燃料トラック、3台の発電車、900ガロンの水、携帯用調理済食(MRE)288のケース、防水シートなど15,000lbの救援物資、23人の修理要員を2隻の上陸用舟艇で輸送した。
このほか、日焼け止め、トイレットペーパー、石鹸、歯みがき/歯ブラシ、シャンプー、ローション、点眼、カミソリと、ティッシュ、ベビー用品など衛生管理に必要なものも含まれていた。
P-3オライオンは大島への上陸用舟艇のよる輸送を上空から監視、調整した。
このほか、さらに離れた島々の画像も撮影、自衛隊に提供した。
3月28日:
大島の住民は地震以来の孤立した、しかも電気も付かなかった日々に終止符を打ち、エセックス水陸両用群と自衛隊によって持ち込まれた電源車により、16日ぶりに復旧した明かりのある生活を喜んだ。
第1強襲艇隊の上陸用舟艇は海上に浮遊する害物を避けながら進んだ。
前日午後5時、島に電気が戻った時、住民からは喝采が上がった。
セーフガードとトーテュガ、MDSU-1、EODMU-5、UCT-2は宮古港へ移動、海上自衛隊と民間のダイバーと強調して港のクリアランス(後片づけ)を行なうことになった。
3月29日:
セーフガードとトーテュガ、MDSU-1、EODMU-5、UCT-2は宮古港のクリアランスを行なう準備に入った。
トーテュガは港を測定するためのサイドスキャン・ソナーを搭載した上陸用舟艇を発進させた。
宮古港では3月11日の津波により遊覧船などが沈没、埠頭の杭材が波による損傷を受け、そのうちのひとつは完全に破壊された。
エセックス 、ジャーマンタウン、ハーパーズ・フェリー からHMM-262のCH-46Eヘリコプターが救援物資を積んだ54枚のパレットを三沢に移送、三沢から仙台へはC-130輸送機で空輸された。
その後、物資は米軍と陸上自衛隊により必要に応じて被災地域に分配された。
陸上自衛隊は被災地域への道路の大部分を修復しており、被災者への物資輸送は大幅に改善した。
VP-4"Skinny Dragons"のP-3オライオンは、東北海岸沖で捜索救難飛行を実施するとともに、海上輸送の障害となる残骸などを捜索した。
オライオンは漂流するて2隻のボート(長さは20フィート級と60フィート級)を発見、その位置は海上自衛隊と海上保安庁に報告された。
3月30日:
エセックス 両用群と31MEUは大島でのクリーンアップ作戦"Field Day"を計画した。
陸上自衛隊と共同で行なった作戦では、港のクリアランスとともに小学校や役場のがれき撤去なども行なっている。
島は本土からのフェリー・サービスに依存しており、港を使えるようにすることは島の再興に不可欠な生命線であった。
学校と役場の清掃と再開は、島の日常を回復させるのに重要なステップであった。
3月31日:
統合任務部隊指揮官、君塚栄治陸将がロナルド・レーガンとエセックスを訪問し、乗員にトモダチ作戦に対する感謝を伝えた。
両艦とそれを支援する艦艇は、救援物資の輸送を実施、生存者の捜索や損傷調査のための空中偵察飛行、港湾輸送を再開させるための障害物探査、そして自衛隊を支援して、人員と車両、その他必需品を輸送した。
悪天候のためヘリコプターは予定通りに仙台に戻ることができなかったため、君塚陸将は一晩エセックスにとどまったため、同艦はこの日だけ統合任務部隊の旗艦となった。
4月1日:
時間経過とともに水死者が浮き上がってくることもあるため、航空機と艦船から東北の海岸沖で水上の行方不明者捜索が行なわれた。
エセックス/31MEUからの187名が陸上自衛隊とともに大島クリーンアップ・ミッション“Field Day”作戦を実施した。
4台のHUMVEE、ダンプカー、給水トラック、燃料トラックが上陸用舟艇で大島港に上陸、港、学校、役場のクリアランスを行なった。
3月11日に津波が島を襲い、フェリーを陸上に押し上げた時から、島は孤立していた。
4月2日:
艦隊は大島でのクリーンアップ/クリアランス作戦と並行して行方不明者の捜索を続けた。
第7艦隊の艦艇、ヘリコプター、航空機は津波の犠牲者を探す日米共同作戦において、2,000平方マイル以上の海洋を捜索した。
カウペンス、プレブル、シャイロー、カーティス・ウィルバーは、本州の北東海岸沖の特定の地帯において、搭載するヘリコプターに加え、ロナルド・レーガン搭載のヘリコプターやP-3オライオン1機の支援を受けた。
エセックス/31MEUからの187名による大島クリーンアップ・ミッション“Field Day”作戦継続。
大隊上陸チーム指揮官、ピート・ファーナム海兵中佐が大島を訪問し、地元代表者とクリーンアップ作戦を検討。
クリーンアップが予定される最初の場所は、浦の浜港(大島の主要フェリー港)で、フェリー・サービス開始が最優先の課題だった。
また、大島の飲料水を確保するため、水の出る場所を探し、水質を検査した。
学校のクリーニングとクリアランスは、新年度開始のための準備で、中学校でも始まった。
セーフガードとトーテュガ、MDSU-1、EODMU-5、UCT-2は港湾クリアランス作戦に参加するために移動した。
4月3日:
エセックスから187名に加えて150名が大島に到着。陸上自衛隊ともに"Field Day"作戦を実施する。
この日、米海軍と海兵隊は、陸上自衛隊が浦の浜港の岸壁でクリーンアップを行なうミッションを支援、さらに数日後、要害港および駒形港へ移動した。
"Field Day"作戦の一部として、チームか大島中学校のまわりクリーニングを続けた。
セーフガードとトーテュガ、MDSU-1、EODMU-5、UCT-2は大島へ向け移動中。
4月4日:
北沢俊美防衛相と自衛隊の高官がロナルド・レーガンを訪問、危機に対する米軍の支援に感謝の意を表明した。
北沢防衛相は菅直人首相からのメッセージを携えており、ロナルド・レーガンが震災直後に三陸地域に急行してくれたことへの感謝を述べ、震災の被災者だけでなく多くの日本人が救援活動を件名に行なう米兵の姿に心動かされている。日本とアメリカは真の「トモダチ」であると代読した。
4月5日:
大島の住民はエセックスから輸送され、小学校に設置された携帯型湯沸器により、震災以来初めてのシャワーを浴びることができた。
しかし、シャワー施設は毎時約30人が使うことができたが、エネルギー使用を節約するため日中のみの利用となった。
第76任務部隊は4日に気仙沼市長や海上保安庁、陸上自衛隊の代表者と会い、サルベージとクリアランスの領域を決定した。
気仙沼と大島間の水路は実際には気仙沼と公海をつなぐ主要な航路でもあり、最優先の領域として選ばれた。
この会議の後、サイドスキャン・ソナーを備えてた上陸用舟艇と小型ボートは、ダイバーによる引き揚げ作業のための障害物の位置を記録しておくために探査を開始した。
サイドスキャン・ソナーは八戸および宮古の港湾クリアランス作戦で水中の危険と障害物を決定する際に成功をおさめている。
4月6~8日:
"Field Day"作戦がこの期間、大島で継続しており、3ヵ所の港湾地区の水中を探査、数トンのがれきを発見している。彼らはそれを記録、クリーンアップを行なう地方自治端に情報を提供した。
クリーニングとクリアランス作戦を終了させた後、4月6日に大島で小さな式典が行なわれ、これをもってトモダチ作戦へのエセックスの参加は終了した。
第76任務部隊司令官ジェフリーS.ジョーンズ海軍少将は式典で、日本の住民に我々の時間を提供できたことは大変な名誉であると語った。
結論として:
第7艦隊は160の捜索および救援ソーティのフライトを実施、飛行時間は1,100時間を超えた。その間、260トン以上の人道支援災害救援物資を配送し、八戸、宮古、大島/気仙沼の港湾クリアリングを支援した。
北沢防衛相はロナルド・レーガンについて、今ほどアメリカが同盟国であったことを頼もしく、誇りに思う時はないと語った。
第7艦隊司令官スコット・ヴァン・バスカーク中将はアメリカ人にとっても、日本が我々の同盟国であるという事実をこれほど誇りに思ったことはないと述べた。
自衛隊が激しい身体的、精神的ストレスの下で活動したが、彼らは常にベストで、彼らのミッションや祖国への献身や義務感は揺るぎないものだった。
山のようながれきと、喜びと苦悶の叫び声、評価と感謝の中に、日本人は再建へのプロセスを歩み始めた。
活動の中心が陸地へ移ると、第7艦隊は日本を防衛や周辺の平和と安定を維持に協力するという、本来の任務に戻った。
プロフィール

オールドコニー

Author:オールドコニー
ずいぶん長いことヒコーキ雑誌業界にいるモノ書きです
モットーは「知識は浅く広く、時にディープに」
最近、アスペクト比の減少が顕著です

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。